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15年間、怖くて地下街を歩けなかった……
15年間、怖くて地下街を歩けなかった……
http://www.ohmynews.co.jp/news/20080417/23620?cd
ようやく最近になって、DV(ドメスティック・バイオレンス)という言葉を耳にする機会が増えたが、実際にどれくらいの被害者が声を上げているだろうか?
DV法やDVシェルターなどの言葉を聞く機会はある。だが、渦中で暴力を受けている人の様子は、そうは聞かない。やはり、簡単に「助けて」とは声を上げられないのだ。
実は私もそのなかの1人であった。
恥ずかしいというより、惨めだった
あれは今から15年ほど前のこと……。
その日、私の夫(当時)は朝から落ち着かない様子で、うるさいくらいに繰り返し私に怒鳴っていた。
地下街を歩けるようになるまで15年かかった……(写真はイメージ) 「絶対、おれに近寄るな。知り合いのそぶりをするなよ」
私は言われたことを、ただ念仏のように口のなかで繰り返しながら、距離を保ちながら彼の後ろを歩いた。
歩いていたのは、多くの買い物客でにぎわう福岡市の天神地下街。この地下街はヨーロッパの町並みを意識した石畳で有名なところだ。
しかし、地下街は薄暗く、元来視力の悪い私には歩きづらく、しかも、あまりの人の多さに、ちょっと油断するとすぐにはぐれてしまいそうな状態だった。そんななか、人波にもまれながら何とかあとをついて歩いた。
そのとき、誰かに横から押され、夫を見失いそうになった。すぐにあわてて小走りで追いかける。何とか姿を見つけ、ほっとした瞬間、彼はいきなり私を押し倒したのだ。
その勢いでバックからいろいろなものが飛び出した。すぐに立ち上がろうとしたところ、背中が何度もねじられるような感じで踏みつけられた。
季節は夏。私の白いブラウスには、27.5センチの大きさの足跡が模様のようにたくさんついていた。地面はよりによって「石畳」。踏みつけられるたび、石畳が私の身体に凶器のように突き刺さった。
周りの人たちは手を貸してはくれなかった。それどころか、私を取り囲むようにして輪ができ始めていた。恥ずかしいというより、惨めだった。薄暗いなか、しゃがみながら地面に散乱したものを拾う私の姿は滑稽(こっけい)だったろう。いや、背中の足跡の方がおかしかったかもしれない。
1つ乗り越えるのに15年
それ以来、私は、その地下道入り口まで来ると気分が悪くなり、中に入れなくなってしまった。頭痛がし、手足が震え、しまいには呼吸も乱れてしまうのだ。何度挑戦してもだめだった。
最近になって、やっとそこで買い物ができる状態になった。この地下街1つを乗り越えるのに15年。おしゃれな地下街は私にとって、暗く長い、いばらのトンネルだった。迷い込んだら二度と出てはこられないような、出口のない、地獄の地下道だった。しかし、なんとか出口が見つかったのである。
これは、私が多く抱えるトラウマのなか、克服できた一例である。
私が語ることで少しでも現状が理解されれば……
私は受けた暴力により、頚椎(けいつい)損傷が発覚し、四肢の自由を奪われてしまった。そして、心的外傷後ストレス障害(PTSD)にも認定された。そうなった今、同じようなことに苦しんでいる人に私が言えるのは、できることなら少しでも早く、ひと言でもいいので「助けて」と声を上げてほしいということ。それができていれば、私の体の自由は奪われなかったかもしれない。
今、DVの渦中にいる人のなかにも、私がそうであったように声を出せずに苦しんでいる人が多いのではないだろうか。
たとえ四肢の自由を奪われてもどうにか笑顔を絶やさずに生きていられる私が、こうして語ることで、1人でも多くの人の希望になり、また、現状が理解され、人々にやさしさが広がるのなら……。
そんな思いでいます。そしてこれからも記事を書いていこうと思います。
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