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長澤まさみファンはつらいよ……
長澤まさみファンはつらいよ……
http://www.ohmynews.co.jp/news/20080513/24995?cd
烏賀陽 弘道(2008-05-14 09:20)
過日、某フランス系ファッション誌日本版の女性編集者たちの前で「いやァ実はぼかァ長澤まさみチャンの大ファンでしてねェ」とうっかり口を滑らせたところ、たちまち場内騒然、鬼の形相となった女性たちから「あんな海部首相みたいな顔の人面魚のどこがいいんだ」、「ウガヤさんには失望した」、「これだからオヤジは」、「総括して自己批判しろ」と罵声と怒号の十字砲火を浴びました。
長澤まさみは女性に不人気!?(撮影:馬場一哉) 嗚呼、そんなにまさみチャンが女性に不人気とは知らなんだ。許してくださいごめんなさい。土下座しますから暴力だけはカンベンしてください。あわわ殴らないで蹴らないで。イテテテテ。
というわけで長澤まさみファンであることで生命の危険を感じた私は正体を偽り、隠れキリシタンのように深く地下に潜行しているわけでありますが、そうやってアジトを転々としながら、ふとオレも変わったなあと思う。
だって、若かりしころの私は日本映画にも日本の俳優にもまったく興味がなかったんだもん。
アメリカ映画やフランス映画、香港や台湾の映画は大好きで映画館とレンタルビデオ屋に通い詰めておったけれど、日本映画だけは触ろうともしなかった。嫌いだったと言ってもいいでしょうね。だってさあ、一時期まで(たぶん1980年代だな)日本映画って見れば必ずがっかりしたんだもん。
つまらん、退屈、浅薄。カネ返せと映画館で暴れてスクリーンにモノを投げたこともなかったとはいえないことは事実として否定できない。
日本映画は「俳優買い」か「監督買い」
それが変わったのはいつごろだろう? やっぱり、1990年代のどこかだろうなあ。その時期、私と同世代かやや下の世代で、個性的な監督がぞろぞろ出てきておもろい映画をどかどか作り始めた。調べてみると、そのへんの人材は70年代後半から80年代にかけて「ぴあフィルムフェスティバル」なんぞで世に出た若手インディーズ監督。90年代は彼らが働き盛りを迎えたころに当たるんですな。犬童一心、塚本晋也、中島徹也、黒沢清あたりがそうですわ。
WOWOWがそういう若い監督の作品を公開するのに番組枠を与えたのも、このころじゃなかったっけ?
個性的な監督が増えると、個性的な俳優もたくさん世に出る。てなわけで、私は日本映画を見るときは「俳優買い」か「監督買い」かどちらかで選んでます(たまには題材がおもしろそうな『企画買い』ってのもありますが)。「俳優買い」てのは、つまり「あの俳優が出ているから、どんな演技しているか見てみよう」ってパターン。「監督買い」ってのは「あの監督の作品なら見る価値があると思って間違いあるまい」という一種の信用買いですね。私にとっては三池崇史とか行定勲なんか、そうです。
「俳優買い」をするときは「定点観測」をするとおもしろいことに気付いた。ある俳優がどう成長していくか、どの監督の作品ではいい味を出すのか、1人の俳優について追跡観察を続けてみるのです。例えば犬童一心監督の「ジョゼと虎と魚たち」(2003年)には、池脇千鶴と上野樹里という私が大好きな二人の女性俳優が出ている!(ちなみにこの映画で池脇と上野が妻夫木聡扮する恋人をめぐって殴り合いのケンカをするシーンは、日本映画史上に残る名対決シーンではなかろうか)
この映画のあと、上野は「スウィング・ガールズ」(2004年)に出演、スター的な国民的な人気と知名度を手にします。が、はっきり言って出演作品が多すぎて演技力を磨くヒマがなかったのか、演技は単調で、どの映画に出ても「明るく元気のいいハキハキねーちゃん」、「庶民的」、「体育会系」てな役ばっかりやっている。残念ながら、できるキャラクターが限られている。三木聡監督の「亀は意外と速く泳ぐ」(2005年)と「スウィング・ガールズ」をDVDでよーく見比べてみて。彼女の驚く表情はいつも同じです。細かい「演じ分け」ができないんですね。
一方、池脇千鶴は知名度では上野に一歩譲るけれど、演技力はおそろしく高い。作品ごとにあまりに変幻自在に変身するので、よく見てないとどこに彼女が出ているのかわかんないほどです。そして低予算の地味な作品でも、テーマが挑戦的なら果敢に出演します。きっとギャラも安いだろうし、出ても有名にもならんだろうけど、俳優として腕を磨くチャンスなら、出る。ここがちーちゃんエライ。
妊娠中の妻を殺された男(浅野忠信)が、犯人の少年に復讐しようとする「誰がために」(2005年)では、浅野に片思いする「性格がいい以外に何の取り柄もない地味なブス」の役を立派にやっている。あまりに地味でブスなので、私この映画見終わったとき「え? どこに池脇千鶴出てたの?」と狼狽したほどです。「音符と昆布」(2008年)ちゅう地味な映画のために、アスペルガー症候群なんて難しい役までやっている。
役者の実像を消せるかどうか
乱暴な例えをしちゃえば、上野はシルベスター・スタローンやスティーブン・セガール的な「映画スター」。池脇はロバート・デ・ニーロやケイト・ブランシェット的な「技巧派職業俳優」だといえましょう。みんな「ランボー」や「ロッキー」の主人公をジョン・ランボーやロッキー・バルボアだとは見てないでしょ? 「スタローンが芝居やっとる」と思いながら見てますわね。有名になりすぎて、役者がその実像を消せないんです。上野樹里もそのトラップに落ちている。池脇千鶴は、役者の実像を完全に消してしまえる。そして作中の人物に完全に同化してしまう。これは役者としてすぐれた才能だ。
言い訳がましく言っとくと、これはどっちが良い悪いの問題じゃないんですからね。たまたまそういう監督下や作品で仕事をするうちに、個性が分かれたというだけのことなんだわ。「ジョゼと虎」のDVD見てくださいな。上野樹里は、人間の偽善と二面性を驚くほど巧みに演じていますぞ(=『福祉の仕事をしたい』と言っていたくせに、足の不自由なジョゼに恋人を取られたとたん『なんで障害者のあんたに恋人取られなあかんの!』と差別心むき出しでビンタをかます)。これは犬童一心監督のディレクションが鋭かったからだと思う。
というわけで、次回は「監督買い」の話。ああああああ、女性俳優の話ばっかりで男性俳優の話ができなんだ。ごめん。好きな男性俳優もたくさんいるのよ。くるるる。
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