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高橋尚子、緊急引退会見の実状
高橋尚子、緊急引退会見の実状
http://www.tvlife.jp/news/081028_03.php
高橋尚子(たかはし なおこ)。女子マラソン史上初のゴールドメダリスト(2000年、シドニー五輪)、国民栄誉賞、2001年9月のベルリンマラソンで女子として初めて2時間20分の壁を破り世界新記録で優勝。「Qちゃん」の愛称で国民から愛されるキャラクターである彼女が10月28日に引退を表明した。
午後5時、東京・グランドプリンスホテル赤坂、「五色」新緑の間。黒のスーツと白いシャツに身を包み、 高橋尚子選手は現れた。
「高橋尚子です。本日をもちまして現役引退を決意いたしました」
突然の引退会見。その実状は、26日の帰国から始まり、引退会見の案内が届いたのが28 日未明、それから同日17時の会見まで、すべてがここ2日で進むという異常ともいえる事態だった。
「3大会連続出場を目指し日々練習する中で、こういう(引退)決断をできたというのは、自分の中では完全燃焼したかなという思いからで、今の時点ではすごく爽やかな思いでいます」
自らの決意と今の心情を語ると、嵐のようなシャッター音とフラッシュの光に包まれながら、彼女はこれまでの経緯を語り始めた。今年の3月の名古屋国際マラソンで結果が出せず、思い描いていた北京オリンピックへの道が閉ざされたこと。その後の走りと練習の中で、自分の描いた結果と現実とのギャップに「このままでは…」と焦りを感じ始めたこと。このまま走り続けるより引退して一度、距離を置いてみたいという思いが強くなり、その気持ちが確実になっていったこと。そして、10月10日に(現スポンサーである)ファイテン社長に引退を考えている胸の内を明かしたこと。高橋選手は、今年の春から今日に至るまでの自らの心の推移を語り、最後に人々の期待に応えられない結果になったことを申し訳なく思っている、と締めくくった。
高橋選手は途中、笑顔を交えながら報道陣からの質問に答えながらも、8月9月は肉体的、精神的にもつらい時期であったこと、決意を固めた10月10日には涙を流したこと、両親へは帰国後(26日)に初めて決意を報告したことなどにふれた。
また、北京オリンピックで野口みずき選手が欠場したことがショックだったとも語り、彼女に励ましのメールを送ったら(メールアドレスが変わっていて)戻ってきた、などのハプニングにもふれた。
高橋選手は、中学から陸上を始め、藍川東中学、県立岐阜商業高校、大阪学院大学商学部と進学。日本学生陸上競技 対校選手権大会で1500mにて2位(1993年)、翌94年に3000mで3位となり、大阪学院大学陸上部を初の表彰台へと導いた。1995年、大学を卒業した彼女はリクルートに入社。陸上部の小出義雄監督の下、新たな陸上人生を踏み出す。日本選手権での記録は、1993年の1500m9位から始まり、途中棄権を含み初マラソンの1997年の大阪国際マラソンまで5位が最高(10000m、1997年日本選手権)。自身のマラソンへの思いと小出監督の勧めもあり、高橋はマラソンランナーへ転向。初マラソンとなる97年の大阪国際マラソンでは7位の成績を残した。
従来の中距離よりも長距離での強さを垣間見せる高橋選手が、その実力を国内外に知らしめたのが1998年の名古屋国際マラソンでの日本新記録での優勝だった。
引退会見で印象に残っている大会として挙げたのも、この98年の名古屋国際マラソンだった。この大会で結果が出なかったらやめることも考えていたという、98年名古屋は偉大なアスリートの原点のひとつだったのだろう。それから10年、高橋は日本記録、そして世界記録をも塗り替え、日本女子マラソン初のオリンピック・ゴールドメダリストとなり、日本のアスリート界を牽引してきた。高橋選手自身、当時はこうなると思っていなく、記録が出るとは思わなかった、と当時を謙虚に振り返るが、彼女の姿がいかに私たちに勇気と感動を与えてくれたのか、その功績は計り知れない。
陸上選手でよかったと心から思っていること、陸上を通じて、多くの場所に行き、多くの人に出会い、多くの人に支えられたことに感謝します、ありがとうございました、そう語り終え、会場を去ろうと立ち上がった彼女が、思わず両手を口に当てて涙ぐみ、高まる気持ちを抑えられないその姿を見て、「こちらこそありがとう、本当にご苦労様でした」、会場にいる誰もがそう思わずにはいられなかったに違いない。
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